お父さん、ありがとう。。。

【大脳皮質基底核変性症】という、難病を患っていた父。
6年半前から、左半身の麻痺が始まり、徐々に言葉を発することができなくなりました。
母が自宅で介護をしてくれていましたが、3年前に老健に入所。
誤嚥性肺炎を起こし、隣接している病院に入院。
それから良くなることは一度もなく、約2年半の間、高カロリー輸液の投与を受けながら
寝たきりの入院生活を送っていました。

8月3日の早朝
もともと痩せ型の父が、これ以上は痩せられないというぐらいに細くなり、
冷たくなりました。

母が会員になっている葬儀社に連絡すると、今日は空きがなく、同じ系列の別の会館に安置させて欲しいと。
枚方市の病院から、守口市の斎場に移動し、安置室という部屋に寝かされた父。

8月の忙しい時に都合をつけて、檀那寺のおじゅっさんが来て下さり
枕経をあげて下さいました。

その日の夜は、母も二人の弟も泊まれないとのことで、私と・・・
相方が一緒に泊まってくれることになりました。
約9畳の安置室、横になれる場所は2畳ほど。
テレビもない部屋なので、相方が用意してくれたiPadで
『万引き家族』のビデオを観て、ラストシーンでまさかの号泣。
この夜のことは、きっと一生忘れないだろうなぁ。
相方には心より感謝。

翌日の昼前、お通夜と告別式を執り行う枚方の斎場に、遺体の父を移動。
湯灌をしていただき、きれいにお化粧をしてもらった父は、今にも起きだしてきそう。
棺に御朱印帳を数冊広げて納めたあと、カスタネットを納めようとしました。
IMG_2402.JPG

私が小学校に入学した際、父が手彫りで
『1ねん5くみ ◯◯◯◯◯◯◯』と名前を掘ってくれたカスタネットです。
二人の弟に「それは形見にすべきやろ」とつっこまれ、慌てて引っ込めました。
父が好きだったハイライト(タバコ)と、キリンラガービールは
告別式最後のお別れの時に、入れました。

お通夜、翌日の告別式と、あまり涙が出なかったのですが、
お骨上げの時、父が真っ白の骨になったのを見ると
涙が止まらなくなりました。

時々、仕事帰りに買って帰ってくれる551のアイスキャンデーが嬉しかった。
クリスマスの日は、必ずエレクトーンで「きよしこの夜」を弾いてくれと言われたなぁ。
大きな大きな立体凧を作って、淀川の堤防で揚げたら、高く上がりすぎて、飛んでいってもうたなぁ。
堤防では、よくキャッチボールもしてくれた。
父はネジを作る会社で働いていたので、バレンタインデーの時に
ネジの形のチョコレートをプレゼントしたら、何年もそのまま飾ってくれてた。
私が高校生のころ、父のバイクの後ろに乗せてもらって、京都にツーリングに出かけたら、
三条あたりでパンクしてしまい、二人でバイクを押してバイク店に運んだこともあったな。
私が結婚する前に妊娠したことを報告したときは、めっちゃ怒られた。
「勘当」を言い渡され、結婚式も当日の朝まで出席しないと言われたけど
富山県から来てくれた叔父にひっぱられて、結婚式に出てくれた父は、
終始 しょんぼりしているように見えた・・・。
長男が産まれると同時に、笑顔になってくれた父。
お父さんに「ありがとう」って
ちゃんと言ったこと、あったかな・・・・・・

あれは何年前だろう。
いつも家族より5歩も10歩も前を歩いていた父だったのに、
祖母の分骨がある大谷本廟に向かって、五条の坂を歩いていると、
私よりも遅れて、息を切らして歩く父に驚いた。
まだ難病の指定は受けていなかったけれど、病気は始まっていたのだろう・・・
それが父と出かけた最後の記憶。

お父さんにとって、私はあまりいい娘ではなかったね。
親孝行は何一つしていない。
結婚してからは、盆と正月ぐらいしか顔を出さないし、
入院中も最初は毎週、お見舞いに行っていたのが、だんだん2週間に一度になり、
最近は月に一度になってしまってた・・・。
ごめん。

毎晩、私はビールを飲みながら
ビール好きなのは、父のせいだと言い訳して、父のことを思い出す。
これからもずっと。

お父さん、ほんまにほんまにありがとう。
天国でいっぱいビール飲んでな!