大阪府四条畷市の、四条畷神社へ。
大阪は4月25日に発令された、三度目のコロナ禍による緊急事態宣言延長期間中ということで、府内の神社仏閣を再発見!!と、勝手に銘打ちまして、近場で感染予防対策をしながら巡らせてもらっております。
いや~、久しぶり!
四条畷神社といえば、ボーイスカウトの付き添い&リーダーをしていた頃、参道を通り石段を上り・・・神社は参拝せずに、そのまま飯盛山に登るという、めっちゃ失礼なことを何度もしてしまった神社です。
恐らく最後に通ったのは、2006年3月かな。
一の鳥居がなくなっていました。
2018年9月の大阪北部地震により上部に亀裂が入ったため、撤去されたそうです。
再建のための寄進をお願いする案内が、境内に掲示されていました(↓写真は掲示板を撮影したもの)。
二の鳥居
二の鳥居の階段を上りきったところにある注連柱
無料駐車場の前に、休憩所があります。
手水舎
浮き玉手水です(〃▽〃)
かわいい~♡
手水舎の裏に大きな楠があり、その根元に楠公慰霊塔
「楠公」とは楠木正成のことで、豊中の山林で発見された慰霊塔を移設したのだそうです。
この四条畷神社は、四條畷の合戦で足利軍との戦いに敗れた楠木正行(くすのき まさつら=楠木正成の嫡男)とその一族の将士24人を祀る神社で、1890年に創建されました。
毎年、正行の命日に当たる2月12日に例祭が行われます。
境内末社の有源招魂社
元は飯盛山東峰有源山に祀られていましたが、2007年に新しい社殿が建立されたそうです。
楠天神社
とてもわかりやすい案内板があります。
神明鳥居
御鎮座100年を記念して、伊勢神宮から贈られたもの。
拝殿
蟇股には、菊水の紋
本殿
拝殿の左に、楠木正行公の母・久子をお祀りする御妣(みおや)神社
拝殿に向かって右側に、楠木正成と正行の『桜井の別れ』像
楠木正成公は最期の戦いとなった湊川の戦場に出陣する途中、桜井(島本町)にさしかかった際に、11歳の正行に「河内へ帰って、いつの日か必ず朝敵を滅せ」と諭しているシーンです。
桜井駅跡地にも、同じ「父子別れの像」があるそうです。
反対の左側には、母・久子と正行の像
先月参拝した富田林市の、楠妣庵観音寺にも、同じシーンを再現した像がありました。
社務所
いただいた御朱印です。
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