京都市上京区の、堯天山 佛牙院 報恩寺へ。
宗派:浄土宗 開山:慶誉上人
東門
門前の石橋は秀吉の侍尼・仁舜尼の寄進で、擬宝珠に慶長7年(1602)の刻銘があるそうです。
鐘楼
「撞かずの鐘」と呼ばれる、平安時代後期の梵鐘(重文)
稲荷社
地蔵堂
ガラス越しに内陣を拝見しました。
奥に大きなお厨子があり、中央に色白の美しい地蔵菩薩立像が祀られています。
向かって左側には、小さな地蔵菩薩立像、右側には石仏の地蔵菩薩坐像。
本堂は天明8年(1788)の天明の大火により焼失したまま再建されていません。
賓頭盧さんを祀るお堂
玄関の向かって右側に、阿吽が逆の金剛力士像。
かっては山門に安置されていましたが、享保の大火(1730年)に山門が焼失した際、墓地の中央に立っていたことから、「墓飛びの仁王尊」と呼ばれているそうです。
玄関(この奥に書院、左側に客殿)
【第56回 京の冬の旅】で、1月8日から3月18日まで特別公開が行われます。
【1期】1月8日(土)~16日(日)は、「鳴虎図」原本の公開
【2期】1月17日(月)~3月18日(金)は、「鳴虎図」レプリカと、いつもは京都博物館に寄託されている「大黒天像」(重文)が特別公開。
特別拝観料@800円を納め、客殿の中へ。
書院を入ってすぐ高いところに、韋駄天さんが祀られていました。
広いお茶室
中庭の奥に待合「求楽庵」がありました。
客殿(方丈)は、3つに区切られ
一番奥の間は、黒田長政(黒田官兵衛の長男)が死去した部屋といわれ、黒田官兵衛と長政のお位牌が安置されています。
仏像は阿弥陀三尊坐像かと思われますが、脇侍はよく見えませんでした。
中央の間は、伝快慶作の阿弥陀三尊立像が祀られていて、こちらはじっくりと拝顔させていただくことができました。
快慶作といわれるだけあって、とても美しい三躯。
脇侍の観音菩薩と勢至菩薩は女性的で、敬礼するように腰を曲げておられます。
向かって右の間の壁に、中国伝来の掛け軸「鳴虎図」の原画が。
(写真は、立て看板を撮影したものです)
12年に一度 寅年の1月1日~3日だけ公開されているそうですが、
特別に【第56回 京の冬の旅】の1期(1月8日~16日)のみ、公開されることに。
毛の一本一本まで丁寧に書き込まれ、どことなくユーモラスな表情です。
お寺の略縁起によりますと、戦国時代、豊臣秀吉が報恩寺の虎の掛け軸をとても気に入り、持ち帰ったところ、夜になると虎が鳴いて眠れなかったことから「鳴虎」とよばれるようになったそうです。
「厨子入千躰地蔵菩薩像」(重文)の解説図が貼られています。
高さ20cm足らずのお厨子の中に、3.3cmの地蔵菩薩坐像が祀られ、その周囲に約1㎝ほどの千躰地蔵菩薩像がびっしり950躰余り並んでいます。
表面だけではなく、中尊の後ろ側にも、びっしりと並んでいる様子がわかりました。
京都国立博物館に預けられているそうです。ぜひ拝見してみたいものです。
庭園
客殿を出て、境内の西側へ。
五重塔は秀吉の侍尼・仁舜尼の墓碑。
後西天皇の第7皇女・賀陽宮のお墓
いただいた御朱印です。
本日の歩数 8578歩・歩いた距離 5.9km・上った階数 10階
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