京都市上京区の千本ゑんま堂こと、光明山 歓喜院 引接寺(いんじょうじ)
宗派:高野山真言宗 創建:寛仁元年(1017年) 開基:小野篁卿
境内に駐車させていただきました。
鐘つき堂
見上げると、天井には梵字。
本堂
本堂前の・・・香炉?
外陣の中央に賓頭盧さん
壁面にうっすらと残った地獄絵は、狩野元信によるものだそう。
鰐口の上に「萬倍碗」という大きなお椀が。
閻魔様のお湯飲み碗だそうです。
お賽銭箱に、閻魔さんと司録&司命の写真が貼られています。
ガラス越しに内陣の様子を拝見すると、中央に閉じられた大きなお厨子が見えました。
毎月16日の「ゑんまさまの日」に、ご開帳されるそうです。
内拝料を納めると、特別に御開帳して下さるとのことなので、さっそく拝観受付へ。
内拝料@500円を納め、内陣に上がらせていただきました。
天井は極彩色で描かれた花の絵が美しいです。
外陣との境にあるガラス戸の前のカーテンを閉められ、お厨子の扉(観音開きではなく、引き戸)を開けて下さいました。
御本尊は高さ2.4m、幅も2.4mという丈六の閻魔法王坐像!
迫力に圧倒されました!
大きな瞳は琥珀で、開けた口からのぞいている舌は香木の伽羅だそうです。
手のひらに、1488年仏師の定勢作であるという銘があるそうで、手のひらの写真を拝見することができました。
閻魔法王は憤怒の表情に見えますが、実は地獄に落ちる亡者のかわりに熱い鉄を飲み込まれている表情なのだとか。
向かって左側に書記の司録尊、右側に閻魔帳を広げて読み上げる司命尊が祀られ、二人の後方の板絵に、外陣と同じように地獄絵が描かれています。
かつて京都の3大墓地の一つだった蓮台野(れんだいの)の入り口にお寺が立っていて、当時の平民に墓はなく、風葬が一般的だったそうです。
京都では毎年8月にご先祖様の精霊がゑんま様のお許しを得て各家庭に帰ってくるといわれ、水塔婆を流し「迎え鐘」を撞いてお迎えする「お精霊迎え」が行われる根本道場として参拝される方が多いそうです。
本堂から塔婆流し場へと続く廻廊
精霊堂(開山堂)
ガラス越しに、内陣を拝見させていただきました。
中央に地蔵菩薩立像(ゑんま法王本地仏)が祀られ、向かって左側に灑水観音立像、右側に開基:小野篁卿の像が拝顔できました。
小野篁(おののたかむら)卿は、昼間は宮中に赴き、夜は閻魔丁に仕えていたそうです。
詳しいことはわかりませんが、ネットで写真をいろいろと見ていると、どうやら精霊堂の外陣が狂言堂になっているようです。
壁を上にはね上げて、舞台を作られているような感じでしょうか。
こちらで行われる千本ゑんま堂大念佛狂言は、京都市の無形民俗文化財に指定され、境内では5月1〜4日に有声で公演が行われます(観覧無料)。
水燈華供養池
紫式部供養塔(重文)
紫式部像
茶釜塚
このあたりに普賢象桜の木がありました。
遅咲きの八重桜で、散るときは花びらではなく、花冠ごと落ちるそうです。
拝見してみたいです(〃▽〃)
大杉大明神
童観音(わらべちゃん)
普賢堂(茶室)
春の七草
信徒会館でしょうか。
こちらにも閻魔法王像が。
いただいた御朱印と
相方が購入した閻魔おみくじです。
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