標高314mの小さな山で、白虎隊自刃の地として知られています。
案内図
階段でも全然登れそうですが、せっかくなので「飯盛山スロープコンベア」@250円を利用。
スロープコンベアを降り、石段を上ると、自刃した白虎隊士19名の墓地がありました。
その隣には、命を落とした白虎隊士31名の墓や、婦女子が戦いに巻き込まれたことを表す石碑も建てられていました。
灯籠に「竹と虎」
白虎観音像
石段を下ると、白虎隊自刃の地がありました・・・。
白虎隊は、戸ノ口原での戦場で多くの負傷者を出し、鶴ヶ城を目指すのですが、
この時にはぐれた20名は、戸ノ口堰洞穴を通って飯盛山に逃げ延びました。
飯盛山から見えたのは、戦闘による市中火災の模様、黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城でした。
写真の中央あたり、鶴ヶ城がかすかに見えます。
会津の負けを悟った隊士たちは、戻って生き恥を晒すよりは・・・と集団自決をし、20名のうち19名が亡くなりました。
※白虎隊は、慶応4年(1868年)に始まった戊辰戦争(会津戦争)に際して、会津藩が年齢別に編成した四部隊の一つで、16歳から17歳の会津藩士の子息によって構成されました。
飯盛山スロープコンベアの降り口まで戻り、飯盛山の中腹にある、さざえ堂を目指します。
宇賀神堂(厳島神社の傍社)
元は宇賀神様をお祀りした社で、戊辰戦争後は白虎隊十九士の霊像を合わせてお祀りしています。
供養車
会津さざえ堂(重文)
正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」
高さ16.5m、六角三層のお堂です。
拝観料@400円を納め、堂内へ。
寛政8年(1796年)に建立された、今はなき正宗寺の観音堂で、当時のご住職・郁堂和尚が考案したと伝えられています。
上り口に、郁堂禅師像
かつては西国三十三観音像が安置され、塔を一巡りする事で西国巡礼と同じご利益が得られると考えられていました。
現在は三十三観音像は他所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が掛けられています。
二重螺旋のスロープは、上りも下りも人とすれ違わない不思議な一本道になっていて、建築史上貴重な建築物です。
塔の中心はこんな感じ
最上部の天井は折上げ鏡天井
ここから下り坂。
下りたところには、残夢大禅師像
拝観チケットに描かれた図です。
坂道を下りると、慈母子育観音堂(白虎清水観音)
成瀬桜桃子の句碑「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」
手水場
厳島神社
主祭神は市杵島姫命です。
戸ノ口堰洞穴
白虎隊士たちは、この洞穴を通って飯盛山へとたどり着いたそうです。
戸ノ口堰水神社
地蔵堂
飯盛山 霊牛神堂
白虎隊の像
自刃した白虎隊20名のうち、唯一生き残った酒井峰治が愛犬クマと再会したときの銅像
会津若松市のマンホール(磐梯山とアカマツ)
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