徳島県神山町 杖杉庵(じょうしんあん)
四国八十八ヶ所番外札所
宗派:高野山真言宗 創建:不詳 開基:弘法大師
ご本尊:地蔵菩薩 ご真言:おん かかかび さんまえい そわか
四国八十八ヶ所第12番札所・焼山寺の2kmほど手前にあり、最初に四国八十八ヶ所を巡ったとされる衛門三郎の、終焉の地です。
大きなイチョウの木が目印。
柄杓がありますが、手水としては使えそうにないです。
衛門三郎のお墓には戒名『光明院四行八蓮大居士』と刻まれています。
「四国遍路元祖衛門三郎之碑」
庵
地蔵菩薩立像が祀られています。
焼山寺の納経所にていただいた御影です。
お大師様と衛門三郎の銅像
ざっくりと書くと・・・
伊予国の豪農・衛門三郎のもとへ何日も托鉢に来るみすぼらしい僧がいた。
三郎は僧を追い返し、ついには手に持つ鉢を叩き割ってしまう。
三郎には8人の子がいたが、それから毎年、一人ずつ亡くなっていく。
みすぼらしい僧が、実は弘法大師様だったと気づいた三郎は、無礼を詫びるために、お大師様を追って四国を巡る。
20周巡っても会うことが出来ず、逆打ちで巡った21周目の途中、病に倒れているところへお大師様が現れ、ようやく非礼を詫びることができた。
そのシーンを表しているのが上の銅像です。
この話には続きがあります。
息も絶え絶えな衛門三郎の望み(伊予国司に生まれ変わって人助けをしたい)を訊いたお大師様は、衛門三郎の手に小石を握らせる。
そのままこの地で息を引き取った三郎の亡骸を埋め、形見の金剛杖を建てて墓標としたところ、その杖から葉が茂り大杉となったのが、杖杉庵の始まり。
翌年、伊予の国主・河野息利に生まれた子の手に握られていた小石には「衛門三郎再来」と書かれていた。
その子は河野息方と名付けられ、15歳で家督を継ぎ、後に伊予国の領主となった。
握られていたという小石は、51番札所の石手寺に保存されています。
御朱印は後刻、12番札所でいただきました@500円
私は重ね印で。
以前は「四国霊験場」でしたが、「右エ門三郎霊跡」に変わったそうです。
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