兵庫県養父市、妙見山 日光院(にっこういん)
近畿楽寿観音霊場第5番札所
宗派:高野山真言宗 創建:飛鳥時代(572年頃) 開基:日光慶重
お不動さん
山門
七曜紋(北斗星紋)
修行大師像の周囲は、四国八十八ヶ所のお砂踏みができます。
段ボールの生みの親・井上貞治郎翁像
鐘楼
優しい音色が長く響きました。
弁天堂
堂内には招福弁才天を祀る祠。
地蔵堂には、たくさんのお地蔵さんが。
日光院(この地)から名草神社(もとの日光院の場所)までの五十丁の参道に祀られていた丁石地蔵さんです。
明治の廃仏毀釈により、妙見様がこの地に降りて来られた際に、丁石地蔵さんが集められたそうです。
薬師堂
向拝から、美しい装飾のお厨子が見えました。
毘沙門天像も祀られているそうです。
妙見宮(拝殿)
護摩壇がありました。
本殿
妙見大菩薩様が祀られています。
ご真言は「おんまか しりえい じりべい そわか」です。
鳥居の奥に
稲荷社
樹齢600年の大イチョウ
お助け地蔵さま
スコップと飯盒を持っておられます。
お助け地蔵さまのご由緒
不動明王尊
楽寿観音像
玄関内に書置きの御朱印を用意して下さっていました。
いただいた御朱印です。
お寺の前に「妙見山資料宝物館」がありますが、閉まっていました。
日光院から7.6kmほど山道を上った標高800mあたりに、名草神社があります(拝殿・本殿・三重塔が重文)。
詳しい事情はよくわかりませんが、三重塔は妙見杉を提供した返礼に、出雲大社から日光院に贈られたものといわれています。
三重塔のご本尊・虚空蔵菩薩坐像は、現在 日光院でお祀りされています。
拝殿は元護摩堂で、明治9年までの245年間、妙見護摩が焚かれていたため、天井が真っ黒だそうです。
名草神社に行こうとしたのですが、日光院から先は、どんどん積雪が増え・・・
あと1.5kmで到着という地点で轍も途絶え、前の車がUターンしたタイヤ痕をみつけたので、
私たちも立ち往生する前にと、引き返したのでした。
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